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夏休みの宿題のこと |
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ブログ更新する暇がない。
こはタンに夏休みの宿題をさせるのも一苦労。
工作は、何度も挫折して本日仕上がった。
今週末の登校日に提出しなくてはならないもんだから母が焦ってしまい、本人が達成感を得られたかどうか甚だ疑問。
絵がまだ途中になっている。
この、絵というやつ。
最初に好きなように描かせたら、人の顔がニコチャンマーク(と、今どき呼ぶのか知らないが)である。
本気で描いてニコチャンマークなら別にいいのだけど、一応
「本当に人の顔ってそういうふうに見える?」と質問してみたら、
「だって、本物みたいに描いたら、友達に笑われるから嫌やもん」と言って泣き出した。
物事がどんなふうかを観察して描くのが絵。
それを一生懸命やりましょうっていうのが、こはタンの宿題である。
こはタンが一生懸命観察して、一生懸命描いたものを誰かが笑ったら、笑う人が間違っている。
こはタンの一生懸命を私は絶対に笑わないから、思い切って頑張って、堂々としてほしいと、私は思った。
まぁまだ小さいし、そこまでわかるかどうかだが、一応私のその気持ちを2年生にも伝わりそうな感じに噛み砕いて話した。
伝えたいけど、伝わってるのかわからないから、言葉がどんどんくどくなってくる。
私自身頭を冷やすため、昼は気分転換に子供たちを連れてレストランに行った。
楽しく食事をし、帰ったこはタンは、「やってみる」と言って画用紙に向かった。
こはタンが2時間集中して人の顔を観察し、思い切って描いた作品は、とってもとっても素晴らしかった。
夫に夜この話をすると、こはタンの乙女心を大切に思ったようで、恥ずかしいと思うのに無理に描かせなくてもよかったのではと言った。
でも私は、人に笑われたくないから本気を出したくないなんて、残念で仕方がないことだと思う。
私と夫は、下のような妥協案に落ち着いた。
●頑張って描いてみるけど、それを見て笑う人がいないとも限らない。
●その上で提出するか提出はしないかを、本人に決めさせる。
本当は私は、頑張って描いた作品なのだから、胸を張って持って行ってほしい。
笑いたい人には、笑わせておけばいいと思うのである。
こはタンがもし、
お母さんが笑わなくても、男子が笑うのだ。それが辛いのだ。
と言うのなら、それは私の力が足りないのである。
母は笑わないから、思い切ることができる。
こはタンがそんなふうに思ってくれるような母親になりたいと思った。
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春のくんた家 |
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海の見える町に引っ越して2年。
この春、くんた家は再び引っ越しをし、こはタンは転校をした。
引っ越しと言っても、元の家に帰っただけなので、
転校と言っても、元の保育所のメンバーと同じ小学校に行くだけである。
私服の小学校から制服の小学校に変わったので、制服姿がすごく新鮮で、もう一度入学の喜びを味わえたようで、母としてはとても嬉しい。
こはタンは、元の保育所のメンバーとの再会をとても喜び、クラスメイトも「こっちゃんが帰ってきた」と言って歓迎してくれたようでホッとした。
こはタンはわりと軽い性格なので、親の心配をよそに、心は常に前へ前へ進んでいるようだ。
元のスイミングスクールに再び入り、再会した友達と共にスクールバスで通っている。
バス停から10分ほど歩くので、頭が寒くないようにタオル帽子を縫ってあげたらとても喜び、意味もなくいつもかぶっている。
帰りのバスの中でおやつを食べるのが、たまらなく楽しいらしい。
おやつは母が用意して、秘密にしておくのがいいらしい。
私はこはタンの人生の先輩として、おススメお菓子をチョイスし、スクール鞄に忍ばせておくのだ。
山ピは英才教育の幼稚園に入り、日々奮闘している。
私が朝と夕方に、家の花壇のチューリップの育ち具合を見ながら季節を感じていると、バスが山ピを運んでくれるという、誰が考えたのか凄まじく便利なシステムである。
色んな意味で、驚くほど気持ちが楽である。
幼稚園で先生に何を習ったかを聞くと、
「廊下は静かに歩きます!って言っとったよ」
とだけ、毎日言う。
木曜だけ昼で帰るので、山ピもスイミングに通い始めた。
まだ年少にもならないから水着は自由。
洒落た迷彩柄のバミューダパンツ?
いいえ、男は黙ってスクール指定のブーメランパンツである。
紐はうっとうしいので引っこ抜いてゴムに変えた。
上二人にまだまだ手がかかるという空気を読んでか、みんみはいつもおんぶで機嫌よくしている。
後追いの時期を迎えたが、たいていはニコニコと誰にでも愛想がいい。
8ヶ月でつかまり立ちを始め、すぐに伝い歩きを始めた。
山ピは8ヶ月で靴を履いて外を歩いていたので、みんみは遅いのだなぁと思っていたが、決して遅くはないようだ。
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近況 |
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写真は昨年の七五三。
抱えていた仕事がひと段落ついたので、久々に近況を書き留めておこうと思う。
おそらくくんた家は、来月また引っ越しをする。
この町に来てもうすぐ2年。
すごく楽しくて充実した毎日だった。
みんみも無事に生まれた。
こはタンはもうすぐ2年生。
無遅刻無欠席で学校を頑張っている。
学校で習うこと以外は絶対に覚えないという、予習反対派の姿勢を貫く小さな勢力だが、実際は面倒なのである。
将来の夢は、薬剤師、社長、ケーキ屋さん、私の仕事の手伝い、など、さすが1年生、ブレまくっている。
スイミングはなんとか通い続けているが、1年近く進級していない。
「遊びたいのはわかりますが、まじめに練習しましょう。最後まできちんと泳ぎましょう」
というような評価を毎回頂く。
『褒めて伸ばす』 が独り歩きしているこの時代に、他人の大人がズバッと書いてくれることが嬉しくて笑えてくるのだが、まだ発達途中の本人のために笑いをこらえて厳し目で見ている。
こはタンの、『面白いことが好きだ』という力は、母の私以上だと思う。
彼女といつか、面白さを追求するだけの馬鹿笑い面白旅行ができるかもしれないと思って楽しみにしている。
ここに引っ越して来たとき、山ぴはまだ1歳になる前だった。
色々と発達が早く、8カ月から歩いていたし1歳でしゃべっていたが、写真を見るとまだまだ赤ちゃんだった。
今はすっかり少年みたいになって、そんな頃が想像できない。
新聞のスポーツ欄を見たり、バットを振り回したりしては、「野球選手になる」と言っている。
折り紙とか、細かいこともわりと好むのだが。
節分以来、鬼退治にも行きたいと言っている。
男児のかわゆさに、私はもう溺愛中である。
春からは、ちょっとした幼児教育の幼稚園に通う。
出来具合を見て小学校受験も考えているが、所詮は私と夫の子供だからあまり期待はしていない。
そんな男児超かわゆいなと思っているところにやってきたのが、みんみである。
彼女のかわいさがすごい。
生まれてすぐから目が合うと笑う、社交的な面を持つ。
さびしんぼうで、私が少し離れると泣き、戻ると笑う。
3人のうち1番肌が強く、色白でツヤぽよとしている。
そう。ツヤぽよとしている。
まつ毛の短さが、和風でいい味だ。
兄姉から、『みれちゃん』 と呼ばれている。
ちなみに、『かにさん』のイントネーションである。
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お兄ちゃん |
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みんみ誕生からひと月半が過ぎた。
山ピが急にお兄ちゃんになったと感じる。
みんみを膝に乗せて、
「みーちゃん、かーいーねぇ」
と言って可愛がる姿がたまらなく可愛い。
自分の服をまくって
「おっぱいよ~」
と飲ませようとする。
今度ばかりは赤ちゃん返りするかなと思っていたが、またしても拍子抜け。
でもまだまだ2歳の子ども。
夕べ、夜中に起きて「かあやーん」と泣いた。
「お茶飲む?」
「がうよー(違う)」
「抱っこ?」
「がうがうー(違う違う)」
魔の2歳児と言われる頃だから、何してもだめなんだろうなぁと諦めて横になったら、
「そうそう、これこれ♪」
と言って私の左腕を枕にし、私の右腕を抱えて寝た。
愛しくて愛しくて、汗でしょっぱい山ピのおでこに何度もチューをした。
→ 写真はみんみ1ヶ月
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物が壊れる我が家 |
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今年はどうもついていない。
年明けには、ある朝起きたら携帯電話が真っ二つに折れていた。
6月は、突然洗濯機が動かなくなり、買い替えを余儀なくされた。
同月、なんだか車がガタガタいうなぁと思って降りて確認したらタイヤがパンクしていた。
7月、春に買ったばかりのノートパソコンの液晶に、豪快で芸術的なヒビが入った。
同じく7月、山ピが椅子から落ちて頭から出血し、近くの病院は小児科医がいないとかで断られて、車で40分の隣町の総合病院の救急にかかった。
携帯電話は幸いにも補償サービスに加入しており、4千円ほどで最新の機種に交換できたのでよしとした。
洗濯機は、少々値は張ったが省エネで乾燥機能付きの、最新の物に買い替える機会になったのでよしとした。
タイヤは、釘が刺さっていたことに気付かずにかなり走ってしまったらしく、丸ごと交換することになってお金はかかったけど、地元の人に親切にしてもらって心も温まったし、事故もなく、タイヤを替えるだけで済んだからよしとした。
パソコンは、メーカーに修理を依頼したら7万円はくだらないところを29800円で修理してもらえたので、いい業者を見つけたということで、半ば無理やりだがよしとした。
山ピの怪我は、ホチキスみたいなもので3つパチンと留め、精密検査も異常なかったし、1週間ほどで針を抜いたら傷跡もきれいになったのでよしとした。
これだけのことがありながら、私というやつは、よしとし続けたものだから、なんだかついていないことに気付かなかった。
どうも出費が多いものだから、ちょっと冷静にカウントしてみたら、誰か厄年なんじゃないかと思うほど細かいのが続いている。
誰か厄年なんじゃないか。
冗談半分で言ったのだが、まさかと言いながら調べたら、私だった。
昭和53年生まれの女性、今年は俗に言う大厄(後厄)なのである。
毎年初詣の時にお祓いを欠かさない我が家。
その際、厄年の者は厄払いを済ませるのだが、昨年の秋に夫の祖母が亡くなり、喪中だからと初詣を控えたのだ。
不運が続くことから己の厄年に気付くというのは、この厄ってやつは本物だなぁと思うと同時に、大厄なのに、無事に出産を終え、この程度で済んでいる自分の幸運っぷりに、さすがと思わされる。
ご先祖様に守られているのだろうか。
この盆は、線香を大目に焚こうと思う。
ともかく早急に厄払いをしてくることになったのだが、まだ1週間も先なので気をつけなくては。
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3人目のかわい子ちゃん~誕生秘話その4~ |
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先生を呼ぶってことは先が見えたなぁと、もうろうとする頭で考えつつ、また震えながら分娩台に戻った。
ともかく、いよいよ分娩台のあのレバーを握り、出産っぽい状況にこぎつけたのである。
また全身に力が入り、私の頭を支えてくれた助産師さんが「口を閉じて!顎を引いて!」と何度も言った。
私は前歯が出ており、口を閉じるのが苦手なので、「口を閉じて!」には少し困ってしまった。
一旦中断して事情を説明したい気持ちになったが、そんな場合ではないと思い直し、多少不自然ではあっただろうがなんとか口を閉じ、体に任せて力を込めたその瞬間、息を切らせた夫が分娩室に入ってきた。
「頭見えたよ!」と先生が仰ったのより、2秒くらい前だったと思う。
ここからは一気にいかないと赤ちゃんが苦しくなると思い、自然に入る力に加え、底力を込めていきんだら、すんなりとみんみは生まれたのである。
ここまで長い道のりだったが、それは夫が到着して、ものの2分の出来事だった。
みんみは、お父さんが来るのを待って生まれてきたのである。
それから話題のカンガルーケアをし、初乳を飲ませ、体重を測ったところなんと驚きの3908グラム。
と、助産師さん達を驚かせたが、何を隠そう4170グラムを産んだ実績がある私は驚かなかった。
こうして我が家に3人目のかわい子ちゃんが仲間入りし、今私の手の中で眠っているのである。
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3人目のかわい子ちゃん~誕生秘話その3~ |
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7月2日午前1時頃から、助産師さんが付いていてくれた。
誰かいてくれると頼もしいのだけど、手を焼かせているのだと思うと、早く産まないと申し訳ない気もしてくる。
それに私は、これまでの出産のときも腰をさすられるのはあまり嬉しくなかったのだが、陣痛中の産婦さんは腰をさすってやるのが定番という世の中の流れとでも言うのか、いつも無断で腰をさすられるので少し困るのだ。
何しろ、私は美容院で、耳を拭かれるのがとてつもなく不快だと思いつつ、やめてくれと言えたことがない人間である。
腰をさするのをやめてくれと言いたいのだが、言ったときの後悔を考えるととてもじゃないけど言えやしない。
今回も助産師さんは、せっせと私の腰をさすってくれた。
私は、何かのハプニングで腰をさするのをやめる運びにならないだろうかと、偶然の力に依存したが、そんな都合のいいハプニングが起こるはずもなく、だいたい、腰をさするのをやめざるを得ないハプニングってどんなハプニングなんだと、頭の中は腰をさするのをやめさせることばかりでいっぱいになっていた。
せっかく親切でさすってくれているのに申し訳ないと思いつつ、我慢できなくなってとうとう「触らないでください」と言ってしまった。
午前2時頃、子宮口もそれなりに開き切ったので、ひとつ分娩台に上がってみようということになった。
夫に、「分娩台に行ってきますよ」とメールを送り、痛みに震えながら支度をしてあの台にのぼった。
左右のレバーを確認し、「そうそう、これが意外と便利でね」とつぶやきながら握ってみた。
「あとはいきみたい感じがあったらいきんでみて」と助産師さんが言うのだが、どうも痛いばかりで、いきみたい感じというやつが訪れない。
力任せにいきむこともできるが、どうにも痛いし怖い。
分娩台で2時間ほどモジモジしていると、助産師さんは、一度ベッドに戻って寝てみたら、いい陣痛来るかもと提案してきた。
この苦しいときに、ここから降りてあそこに戻れってか?
と思いつつ、やる気見せとかないと、産む気あるのかと怒られるかもしれないと思い、またしても震えながらベッドに移動した。
この頃にはもう陣痛は間隔とか波とかいう状況ではなく、全身が痛みで支配されていた。
ベッドに辿り付いたものの、横になることもできずに膝を付いた瞬間、耳鳴りがし、痛みで体がビーンと細かく震え、体の芯から皮膚の一番外側までしびれるような感じがした。
ぼちぼち出まーす
そんな声が聞こえたような聞こえなかったような、その瞬間、自然に体に力が入り、パンという音がして破水した。
助産師さんが「やったねぇ!」と軽快に喜んで、「4時40分、破水!先生呼んで!」と別の看護師さんに連絡をした。
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3人目のかわい子ちゃん~誕生秘話その2~ |
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病院に着き車を降りると、付き添おうかと気を遣ってくれた義父に「ここでいいです」と礼を言い、キャリーバッグを引きずってそそくさと中に入った。
早速診察を受けると、子宮口は4センチまで開き、赤ちゃんの頭がすぐ近くまで来ているとのことで、今晩中には生まれるでしょうと言われ、車椅子で入院病棟に移動した。
病院に向かう際、夫を慌てさせまいと、「念のため病院に行っときます」というスタンスでメールを送っていたので、「深夜に一旦解散やから、明日の朝行くわ」という返事だったが、「診察の結果、今晩中に生まれそうよ」と再度メールを送ったところ、「解散になったら直ちに駆け付けます」という返事がきた。
病室は、個室を希望したがあいにく満室とのことで大部屋に入り、荷物を整理してNSTを付けたところ陣痛の間隔が10分を切ってきていたので、動けるうちに陣痛室に行かせてほしいとお願いし、飲み物やら携帯やらを持って陣痛室に移動した。
何かあったらナースコールをというお決まりの文句を残して、看護師さんは出て行った。
私は退屈なので陣痛の間隔をひたすら測りながら、壁に貼ってあった『お産の流れ』という表を見て、自分がどの段階にいるのか、あとどれくらいなのかを考えていた。
時々夫から、「がんばれ」などとメールが来るのが、何か頼もしく感じた。
なぜなら夫がもし一緒に来ていたら多分横で寝ていると思うから、起きていてくれていると思うだけで、一緒にいなくても心強いのである。
23時頃、陣痛の間隔は7分くらいだった。
痛みの強さが増していき、次の波が来るのが憂鬱に思えてきたので、本物だなぁとつくづく思った。
ふと、こうなったらもう後には引けないのだなぁと思い、今更だが出産に対する怖さや、どうなるのかわからないという不安も強く、ここまで来てしまったのだから行くしかないのだという、開き直るような気持ちも湧いてきて、どうにか気持ちを整理しながら、誰もいない陣痛室で時計を見ていた。
誕生日は7月2日になりそうやね。
と夫にメールを送り、一人で7月1日を見送った。
7月2日。
なんだか運命的な日付のような気がしてきた。
とても綺麗な日だと思うのである。
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3人目のかわい子ちゃん~誕生秘話その1~ |
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第3子で次女のみんみちゃん、7月2日午前4時50分、お陰様で無事に誕生した。
陣痛マチ入院から一旦退院し、何事もなく2晩が過ぎた7月1日の朝。
ようやく、おしるしというものを確認した。
と同時に、痛んだり引いたりの前駆陣痛が、何となく一定の間隔を保ち始めた。
この日から2日間は、年に一度、町を挙げてのお祭りである。
夫は夜通し仕事となり、いくら妻の出産と言えど抜けられる状況ではない。
なのでこの2日間だけは避けたいと、妊娠が判明した当時から思っていた私は、あえて痛みの間隔を測らず、気付かないふりをして、夫にも言わないでいた。
ひっそりと、腹と頭で駆け引きをしていたのである。
それに、この時点ではまだなんとなくである。
ここから驚くほど引いていったことが何度となくある。
起これるものなら、起こってみなさいホトトギス。
と、半ば開き直るように構えてみたところ、昼過ぎには、挑発に乗るかのように強く痛み出した。
今朝おしるしも頂いたし、朝から痛みが途絶えていない。
散々踊らされ、もう懲りているはずなのだが思わずにはいられない。
「これはもしかして、いよいよなのかもしれない。」
夕方、義両親がやって来てこはタンと山ぴを連れてお祭りに繰り出したのを見送ってから、やっと真剣に痛みの間隔を測ってみたところ、10分強といったところだった。
お祭りで夫が不在だし、お祭りに招待した義両親を巻き込むことをしたくなかったし、もう本当、この日でさえなければ、あとは盆でも正月でもいいのだが・・・
思うようにいかないのが育児。
3人目の育児は始まっているのだなぁと痛感しつつ、19時ころ、お祭りから帰った義両親に「今宵私は、病院にゆきます」と告げたのである。
それはまるで、月に帰るかぐや姫のようだったのではなかろうか。
しかし私の場合、もういつ生まれてもおかしくないものだから、月に帰るなどと突拍子のないことを言うのとは違い、さして驚かれることもない。
産気づいた私の体は、義父の運転する車でとっとと病院に運ばれたのだった。
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陣痛マチ入院 ~ 一旦退院へ |
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こはタンはいつも、病院に来てもすぐに何か理由をつけて帰りたがった。
山ピがどこにでも転がるから、外が暗いから、眠いから、など色々だ。
火曜の夜もやはりすぐに帰りたがったが、本当の理由は言わなかった。
しかし帰宅した夫から、どうも、週末にある地元の大きなお祭りに先立って火曜と水曜の夜は子ども祭があるらしく、それに行きたかったようだと聞かされた。
なんで本当のことを言わないんだろう。
せっかく会いに行ったのに、祭りに行きたいから帰りたいなんて言ったら私が寂しくなるとでも思ったのだろうか。
とにかくもう一晩子ども祭りがあるから、今日はそれに行かせてやりたいと夫は言った。
夫の優しさが、こはタンにも伝わる日がくるといいなぁと思った。
週末は、年に一度この町全体が熱くなるお祭りである。
お祭りの間は、夫が夜通し仕事で忙しくなる。
ぜひお祭りを見に来てほしいと招いた義両親にこはタンと山ピを預けることになるかもしれないと思うと、陣痛がきていないのだから退院して子どもたちと一緒にいてやりたいなぁと思っていた私はつい、退院したいなぁと言った。
夫は、両親がいれば自分が仕事でも緊急時に対応できるからと、思いがけず退院を了承してくれて、ようやく私は陣痛マチ入院から解放されることになったのである。
帰宅すると、家の中は案の定ものすごく散らかっていた。
やることがたくさんありそうで、よっぽど陣痛来やすい環境である。
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